23 november 2005

... gås bandylexikon (uppdatering, フォッシーの話)

1986年の秋、ルワンダ北西部の山岳地帯で13年間にわたってマウンテン・ゴリラの生態を研究していたダイアン・フォッシーが本を完成させるためにコーネル大学へ戻ってきた。フォッシーはコーネル大学との契約で授業をしなければならず、わたしもその授業を受けていた。ある日、授業前、フォッシーの有名な癇癪に出くわした。掃除婦が自分-フォッシー-の櫛から毛を取っているところを見つけたのだ。わたしは感心した。掃除婦の存在自体、たとえ怠惰なものであったとしても、学部生の身にはひどくエキゾチックなものに思えたのだ。だがフォッシーは掃除婦と喧嘩していた。首にするかもしれないという。フォッシーは自分の髪を、それを言うなら切った爪も、捨てるのは自分でなければならないと言った。燃やすのが一番だが、トイレに流してしまうのでもいい。つまり掃除婦はスケープゴートだった。本当に怒っていたのは自分自身に対してだったのだ。自分の髪の毛をそんなふうに放置しておくのは良くないことだった。誰で取って呪いをかけられる。そのときにはまだ、フォッシーがルワンダでは「魔女」として有名だったというのは知らなかった。わたしは訊ねた。「本気でそんなたわごとを信じてるんですか?」フォッシーはぴしゃりと返した。「あそこでは、そうしなかったらとっくに死んでるわよ」


5年後、ダイアン・フォッシーがルワンダで殺されたのを新聞で知った。何者かがマチェーテを使って殺したのだ。かなりたって、ルワンダで曖昧模糊とした裁判がおこなわれた。ルワンダ人の被告は証言前に独房で首を吊っているのが発見され、フォッシーのアメリカ人研究助手の一人が不在のまま起訴され、有罪となって死刑を宣告された。裁判は終っても、事件が解決したかは疑問だった。多くのルワンダ人は、今でもマダム・アガート・ハビャリマナの従兄弟か縁戚が殺人の黒幕だと噂している。動機はフォッシーの研究所があった国立公園周辺での金とドラッグ密輸-あるいはゴリラ密輸-だとされる。すべて闇につつまれたままだ。


「ジェノサイドの丘」 フィリップ・ゴーレイヴィッチ VBK出版より

7 kommentarer:

  1. Bandy, en helt oförståelig idrott. Javisst, så var det alltså bekrätat.
    ;-)

    SvaraRadera
  2. forza, mrdante:
    Frågetecken, obegriplig sport!
    Det är väl bara att lära sig kinesiska!
    Svårare än så är det ju inte och alla dagar utom idag lyser moder zzzzol! :)

    SvaraRadera
  3. Josephzohn: Tur att jag förstår. Vad som än änder så kommer jag alltid att förstå.

    Men nu är det Lasermannen! Hörs sen!

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  4. perspektivet:
    Jag visste det .. först ryska och nu kinsesiska, du kan dina bandyspråk!

    forza:
    Vad glad jag blir att du fattat!
    Där ser du .. man får lägga manken till lite. Och visst är det en skön och härlig text. Det visste du inte va?

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  5. Nej jag visste ínte ens att dom spelade bandy i Kina.

    SvaraRadera